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■『戦旗』1610号4―5面 ロシアのウクライナ侵略戦争弾劾! ウクライナ人民、ロシア人民に連帯し プロレタリア国際主義貫く反戦闘争を 香川 空 二月二四日、ロシア大統領プーチンは「ウクライナへの作戦開始」を宣言し、ウクライナへの軍事侵攻に踏み込んだ。ミサイル攻撃と空爆によってウクライナの軍事施設を攻撃し、防空機能を破壊して制空権の確保を狙った。戦車などの地上部隊による侵攻が続いている。東部のロシア・ウクライナ国境からの侵攻、南部では黒海艦隊が上陸作戦を行なっている。さらに、二月二〇日までロシア軍・ベラルーシ軍合同軍事演習がなされていたが、演習終了後もロシア軍は撤退せず、ウクライナ北部のベラルーシ国境からもロシア軍が侵攻してきている。北部から突入したロシア軍は、チェルノブイリ原発をまず制圧し、そこから首都キエフに向けて進軍してきた。南部から侵攻したロシア軍は三月四日、ザポリージャ原発を攻撃し、原発敷地内で火災が発生している。原子炉が攻撃されれば、ウクライナどころか、ロシア、ヨーロッパ全域に放射能被曝被害がおよぶ未曾有の大事故を引き起こすことになる。 ロシア軍の侵攻に対するウクライナ軍の抵抗と応戦は各地で続いている。防衛戦争に立ち上がったウクライナ軍とウクライナ人民は、火炎瓶から対戦車ミサイルまであらゆる武器を用いて、ロシア軍の侵攻を妨げている。 プーチンは二四日朝の演説では、ウクライナ東部ルガンスク州・ドネツク州の親ロシア勢力の一方的独立承認を「根拠」に、その地域の「平和維持」名目でウクライナに侵攻するとした。しかし、侵攻当日からロシア軍の攻撃はウクライナ全土におよび、親ロシア派地域に止まる攻撃ではなく、首都キエフの陥落を射程に入れた全面的な侵略戦争として進んでいる。 われわれは、まずもってウクライナ侵略戦争を即時停戦することを要求する。ロシア軍は攻撃を停止し、ウクライナから撤退せよ! その上で、ウクライナを含めた欧州における軍事的対立、世界規模で顕在化する分断と対立の構造を急激に強めてきた現代帝国主義を徹底批判する。 ●第1章 プーチン政権は、ウクライナ人民殺戮をやめろ ロシア・プーチン政権は戦争に踏み切った段階では、ウクライナ東部二州の親ロシア派の「独立」と「平和維持」を口実にしていたが、この戦争への煮詰まりは昨年から始まっていた。 昨年から一〇万のロシア軍をウクライナとの国境に配置した上で、プーチン政権が要求してきたことは、ウクライナのNATO(北大西洋条約機構)加盟を阻止することであった。ウクライナの現政権、ゼレンスキー政権は、EU(欧州連合)とNATOへの加盟を希望してきたことは事実だが、NATOを構成する米帝も欧州各国帝も、加盟希望を即座に受け入れるとしたのではなかった。しかし、その先の未来まで、ウクライナのNATO非加盟を約束することはしなかった。 米帝―バイデン政権をはじめとして、独帝、仏帝などNATO諸国とロシアとの間で、首相、外相などさまざまなレベルで今冬外交交渉がなされてきた。しかし、これは主権国家ウクライナの外交関係―同盟問題を、当事者ウクライナ政府を抜きにした大国間の駆け引きで決着させようとする作業であった。欧州の覇権をめぐる問題であるがゆえに主張は平行線で、決着できなかった。 これが外交交渉としてのみ行なわれたのであれば、単純に交渉決裂ということであるが、ロシアはウクライナ国境に一〇万の軍勢を配置して、この交渉を行なっていた。プーチンが交渉相手と捉えていたのはNATOであり、米―バイデン政権であったが、その銃口はウクライナに向けていた。 ブルジョア・マスコミの報道は、まさに、西側の軍事同盟に加盟できていないウクライナを人質にとったプーチンが、米欧の帝国主義諸国に「ウクライナNATO加盟阻止」の難題を突きつけているという構図であった。 一九九〇年代初頭の東欧諸国の崩壊、ソ連邦そのものの瓦解と連邦内諸国の独立。そして、旧東欧諸国や旧ソ連邦内諸国が次々に、ユーロ圏、EU、NATOに組み込まれていく状況が続いてきた。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ジョージア、あるいはいち早く独立したバルト三国など、国際法上は、独立した主権国家であり、ソ連邦に所属していたか否かによって支配・被支配が左右されるものではない。しかし、ロシアから見れば、西欧の資本主義の枠組みが東方に拡大し、ロシアと国境を接する諸国にまで迫れば、これはロシアを攻囲する構図となっている、ということではある。 ソ連邦ではなく、革命ロシアでもなく、ただただロシアの覇権拡大を企図するプーチンからすれば、この構図、とりわけ軍事同盟としてのNATOの東方拡大は許しがたい事態だということだ。 昨年一月に米大統領に就任したバイデンは、NATO、日米安保をはじめとした軍事同盟関係の修復と強化を急激に進めた。その外交戦略は端的に言えば「民主主義国家と専制主義国家の対決」を際立たせるものだった。このバイデン政権の同盟強化の動きは、旧ソ連圏でロシアに次ぐ経済規模のウクライナがNATOに加盟する現実性をロシアに突きつける意味をもってきたのは必然だった。 さらに、より具体的には、昨秋ウクライナに米国製のジャベリン・ミサイル(対戦車ミサイル)が配備されたことに、プーチン政権が敏感に反応して、ロシア軍のウクライナ国境集結を強めたと言われている。 ウクライナ国境のロシア軍が増強される中で、欧州各国帝・米帝とロシア・プーチン政権との間で緊張が高まった。ロシア側の主張は「ウクライナのNATO加盟阻止」である。欧米側は、ロシアが軍事侵攻すれば全面的な経済制裁をかけることを通告した。さらに、米バイデン政権は一月二四日段階で、米軍八五〇〇人の東欧派兵準備を命じた。NATO即応部隊とともに出動する態勢をとった。 ロシアは、EU諸国の天然ガス輸入の46・8%を握っており、欧米の経済制裁にロシアが対抗すれば、欧州のエネルギー供給は大混乱に陥る。独首相ショルツと仏大統領マクロンは、独自の利害をかけてロシア、ウクライナとの四カ国協議を追求した。 ロシアは二月、欧米との外交協議を続けるとしながらも、ベラルーシとの合同軍事演習に踏み込んだ。 両陣営がウクライナをめぐって軍事的にも政治的経済的にも主張を譲らず、緊張を強め続けてきたのだ。 このような米―バイデン政権とロシア―プーチン政権の軍事外交上のせめぎ合いを見極めることは必要なことではある。しかし、それを侵略戦争の口実にすることはできない。大国同士の、欧州をめぐる、あるいは世界覇権をめぐる対立がいかに根深かったとしても、その狭間の主権国家を軍事的に蹂躙する理由にはならない。米帝とロシアの覇権争いのために、ウクライナを戦場にすることは許されない。ウクライナの問題はウクライナ人民が決定すべきであって、帝国主義やロシアの利害で決定されるべきものではない。 ロシア・プーチン政権が一四年のクリミア半島併合に続き、ウクライナ全体の主権すらも軍事力で掌握できると考えて戦争に踏み込んだとするならば、それは致命的な過ちである。ウクライナ人民も、ロシア人民も、決して許すことはない。 ●第2章 ウクライナとロシアの歴史的関係 プーチンは、ウクライナの主権を奪う戦争の正当化のために、一〇世紀から一二世紀に現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア東部に繁栄したスラブ民族の「キエフ・ルーシ公国(キエフを首都としたルーシ国)」を持ち出して、ロシアとウクライナが一つの民族であるかのような論を立てる。その上で、現在の国家間の関係に飛躍して「真のウクライナの主権はロシアとの協力関係の中でのみ可能」、あるいは「現代のウクライナは完全にロシアがつくった」とまで主張する。 しかし、プーチンは近現代史におけるロシアとウクライナの関係を具体的に語ることはしない。ソ連邦時代は国家保安委員会(KGB)の官僚であり、ソ連邦解体後にはロシア第二代大統領に就任してきたプーチンが、ロシアとウクライナの関係の真実を知らない訳はないのであり、歴史的事実については口をつぐんで、「兄弟国だ」などと主張して軍事的に併呑することは絶対に許されない。 ▼2章(1)ウクライナの民族解放闘争 中世のキエフ・ルーシ公国がそのまま、ソ連邦内の共和国に受け継がれた訳では決してない。キエフ・ルーシ公国は、タタール(モンゴル)に征服された。その後、モスクワ公国とは別に、ウクライナはリトアニア、ポーランドなど周辺国の支配下に置かれた。さらに、モスクワ公国、オスマン・トルコなどの領土争いにさらされた。一八世紀末には、現在のウクライナのほとんどがロシア帝国に、一部がオーストリア帝国に支配されるようになっていた。 一九世紀、一八五三年から五六年のクリミア戦争で、ロシアが英・仏・トルコ連合軍に敗北した中で、ウクライナ民族主義は台頭してくる。二〇世紀に入るとウクライナで革命党が組織されてくる。「革命ウクライナ党(RUP)」、ボリシェヴィキ系の「ウクライナ社会民主連合(後の共産党)」などが生まれてくる。一方で、オーストリア帝国の支配下でも独自のウクライナ民族運動は起こっていた。 第一次世界大戦の中、一九一四年にオーストリア帝国支配下の西ウクライナで「全ウクライナ評議会」が結成される。ロシアで一七年二月革命が起こると、三月にはキエフで「ウクライナ中央ラーダ(評議会)」が結成された。この時のラーダの主要勢力は、RUPを継承した「ウクライナ社会労働党(USDRP)」と「ウクライナ社会革命党(UPSK)」であった。一方、ハルキフ(ハリコフ)ではボリシェヴィキ主導の労働者・兵士ソヴェトが形成されていた。 中央ラーダに対するウクライナ全体の支持は拡大し、ウクライナの議会としての役割を担うようになっていった。当時のケレンスキー政権は、地域を限定しつつも、中央ラーダを中心にしたウクライナの自治を認めた。 ロシアでボリシェヴィキが一〇月革命に勝利すると、ウクライナ中央ラーダは「ウクライナ国民共和国」の創設を宣言した。ウクライナの独立宣言であった。英・仏が承認するなど、ウクライナ国民共和国は国際的にも独立国家として認められつつあった。レーニンは一七年一二月、ウクライナ人民の民族的諸権利として、ウクライナ国民共和国の独立を承認した。しかし、ウクライナ中央ラーダが、ウクライナにおけるソヴェトとソヴェト権力を認めていないことを批判して、中央ラーダがウクライナ共和国の勤労被搾取大衆の全権をもった代表とは認められないとした。 ボリシェヴィキは、ウクライナ中央ラーダがソヴェト連隊と労働者赤衛軍の武装解除をなそうとしていることを批判した。一八年に入ると、赤軍と中央ラーダ軍の戦争となった。一八年のブレスト・リトフスク講和もはさんで、四年間にわたって戦闘は続き、ドイツ軍・オーストリア軍がウクライナの同盟国として参戦した。この過程でドイツ軍がウクライナ中央ラーダを認めず、解散させた。ドイツは傀儡政権を擁立したが、ドイツそのものが大戦で敗北すると、このドイツ軍の支配そのものが消滅した。 一九年から二〇年には、東部、北部からの赤軍と、西部からの白軍、さらにウクライナ人民のパルチザンなどがウクライナの地で内戦を繰り広げる事態になった。この内戦の後、赤軍が、ウクライナ人民のパルチザンを制圧して、勝利することになる。この内戦下で一九年一二月に設立された「ウクライナ・ソヴェト社会主義共和国」がソ連邦の一角を構成することになった。 しかし、第一次世界大戦とウクライナ内戦の過程で、ウクライナすべてがソ連邦となったのではなく、その国土の一部はポーランド、ルーマニア、チェコスロバキアに分割される結果になった。 ▼2章(2)ソ連邦のウクライナ ソ連邦において共産党の下で急激に進められた農業集団化と食糧徴発によって、ヨーロッパの穀倉地帯であったウクライナは飢饉にみまわれた。「新経済政策(ネップ)」への転換で食糧生産は回復したが、しかし、この二〇年から二一年の飢饉で約一〇〇万人が死んだと言われている。 しかし、レーニン死後、スターリンが権力を握ると、事態は一変する。第一次五カ年計画の下での急激な工業化、電化のための水力発電所建設、農業集団化の徹底が進められた。当時のウクライナの農民にとっては、この農業集団化は農地の取り上げだった。穀物生産が急激に減少した。一方で政府調達ノルマが厳しく課され、共産党によって強制的な穀物徴発がなされた。三三年の飢饉で、ウクライナでは三五〇万人が餓死し、出生率が低下して人口が五〇〇万人減少するという事態になった。 スターリンの大粛清は三六年から三八年になされているが、ウクライナでは三二年頃から、この飢饉の責任を問うという理由で粛清が始まっていた。ウクライナ共産党は粛清で一〇万人の党員を失ったと言われている。 第二次世界大戦における独ソ戦は熾烈を極めたが、現実には、ウクライナがその戦場になった。スターリンは退却の過程で「焦土作戦」を敢行し、ウクライナの工場、鉄道、発電所などがソ連軍の手で破壊された。この一方で、ナチス・ドイツはウクライナのユダヤ人を虐殺し、かつウクライナ人を強制連行して強制労働に従事させた。 ウクライナ人民は、赤軍パルチザンとは別に、独自の「ウクライナ蜂起軍(UPA)」を組織し、対独パルチザン活動を闘った。UPAは、ナチス・ドイツに対して闘うのと同時に、ソ連邦からの独立も志向して赤軍に対しても戦った。 大戦後、連合国を構成していたソ連邦は、分割されていたウクライナ全体を領土として回復した。その一方で、UPAのパルチザン活動は反ソ活動だとして、KGBが執拗にその摘発、撲滅を続けた。 ▼2章(3)ウクライナの独立 一九九一年八月、ソ連邦崩壊を決定的にしたクーデター事件とその失敗、直後のエリツィンによる権力掌握の過程で、八月二四日にウクライナ最高会議は独立宣言を採択した。同年一二月にロシアのエリツィン、ベラルーシのシェンケヴィチ、ウクライナのクラフチュクは首脳会議を行ない、ソ連邦の解体と「独立国家共同体(CIS)」結成を確認した。同年中に、東欧諸国も帝国主義諸国も含め、ウクライナの独立は国際的に承認された。 ウクライナは当初、CISに属しつつ、一方ではNATOとも提携するなど中立を保っていたが、二〇〇四年のオレンジ革命後の選挙でユシチェンコが大統領に就任。〇六年の議会選挙でユシチェンコの与党が惨敗する。その後、ティモシェンコとヤヌコビッチの対立が続き、一〇年の大統領選挙でヤヌコビッチが大統領に就任した。親ロ派のヤヌコビッチ政権はロシアとの関係強化を進めたが、これに対するユーロマイダンと呼ばれる抗議行動の末に、一四年にヤヌコビッチは大統領を解任された。一四年の大統領選挙でポロシェンコが大統領に就任。議会の構成は、親欧米派が多数となっている。 ロシア・プーチン政権は、ヤヌコビッチ政権の崩壊を理由に、クリミア半島に軍事侵攻してクリミアを占領し、現在に至っている。この時に、ドネツク州、ルガンスク州でもウクライナから独立しようとする勢力が登場した。ウクライナ政府軍との戦闘が起こった。独、仏が介入し、ウクライナ、ロシア、独、仏の四カ国によって、この紛争の停戦と政治的解決の合意がなされた。それが、一四年の「ミンスク合意」、一五年の「ミンスク合意2」である。 一九年の大統領選挙で大統領に就任したのが現在のゼレンスキーである。政治的には親欧米であり、EU、NATOへの加盟を要請してきた。 ロシア、ウクライナの歴史的関係を概観したが、これが、「一つの民族」あるいは「兄弟国」という言葉で、併合を正当化しうる関係であろうか。 人民がこの歴史的関係の上に立って、主権国家としての独立を維持したいと考えるのは当然である。この歴史的事実を抜きにして、眼前の戦争を捉えることは不可能であるし、無謀である。 ●第3章 分断と対立を激化させる現代帝国主義 ウクライナ戦争の直接の責任はロシア・プーチン政権にある。ロシア軍が攻撃をやめ、ウクライナから撤退すべきである。 その上で、ウクライナをめぐる情勢がなぜここに至ったのかを捉え、現代資本主義がたどり着いた現実を徹底的に批判しなければならない。 ▼3章(1)バイデン政権の軍事同盟強化 米帝―バイデン政権は昨年一月の発足と同時に、トランプ前政権の「アメリカ第一主義」を批判して、外交関係の修復を急いだ。しかし、それは、全世界との協調ということではない。NATOや日米安保をはじめとした他帝との同盟関係を修復し強化するものだった。バイデンは、この外交の軸を対中国においてきた。中国を念頭に「民主主義と専制主義の対決」というイデオロギーを一貫して強調してきた。 これまでの軍事同盟の修復というレベルに止まるものではなく、「インド太平洋地域の安全と安定」を掲げて、日米豪印四カ国の枠組みQUADを形成し、QUADの首脳会議、外相会議をもって中国を包囲していくことを推し進めている。さらに昨年九月には、米・英・豪の明確な軍事協力の枠組みとしてのAUKUSも形成している。 昨年末には、バイデン政権の恣意的な評価で「民主主義」とした諸国・地域だけを集め「民主主義サミット」なる会議を開催した。「民主主義サミット」では、意図的に中国、ロシアを排除している。 ロシアとウクライナの間の軍事的問題は一四年のクリミア侵攻・占領から続いているし、ゼレンスキー政権のEU、NATO加盟要請も昨年突然始まったことではない。バイデン政権は、国際的な同盟関係の中での自国の位置を高めるために、中国を標的にして「民主主義と専制主義の対決」なるスローガンを持ち出してきた。しかし、この一年のバイデン政権のイデオロギッシュで排外主義的な外交展開こそが、東アジアでも欧州でも、改めて「冷戦」のような対立と相互不信を高めてきた。バイデン政権が軍事同盟強化の外交を進めることを強く印象付けてきたのだ。 ▼3章(2)米帝の力の衰退 その一方で、バイデン政権はトランプ政権と同様に、米軍が「世界の警察官」として機能しないことを明示してきた。もっとはっきり言えば、「民主主義」を標榜しながら、自国の国益以外のためには軍隊を動かさない、ということである。 そのバイデンの意志を鮮明にしたのが、昨年八月のアフガニスタン撤退だった。「インド太平洋戦略」を掲げ、同盟関係を中国包囲に集中しようとしたバイデンは、この戦略転換のために無理やりアフガニスタン撤退を強行した。国防長官をはじめとした政権内の反対、アフガニスタン作戦に参加してきた同盟諸国の反対をも押し切って強行した。しかし結果は、全世界の前に、米軍の敗走を露呈することになった。この準備なき撤退の後、タリバンの支配のみを批判する報道がなされているが、現実には急激な政変によってアフガニスタン人民は食糧不足に直面させられていたのだ。 プーチンは、この米軍のアフガニスタン敗退をも見すえて、その後のウクライナ攻囲から侵攻に踏み込んできた。対中国を掲げて同盟関係の強化に進む米―バイデン政権が、その実態においては単独で戦争を行なう力を喪失し、その軍事力をもって単独で世界覇権を護持することができなくなっている、ということでもある。 ▼3章(3)グローバリゼーションの瓦解 九〇年代以降、ソ連邦・東欧圏の崩壊をも重要な要因として、現代資本主義は新自由主義グローバリゼーションを急激に進めてきた。金融資本・金融投機資本は全世界を投資先と位置付けた。ロシア、中国、インド、ブラジルが新たな大規模な資本輸出先として位置づけられた。投資銀行こそがBRICsと呼んで位置づけたのだ。 帝国主義国から流入する資本によって、ロシア、中国なども急激に経済成長した。しかし、それは、これらの地域の労働者人民が、改めて外国資本によって搾取される状況になったということでもある。この経済成長によって資本主義化が進んだ。この諸国は、南アフリカも含めて自らBRICSとして協力関係を確認する枠組みをつくり出した。 ロシアは一九九八年から二〇一四年のクリミア侵攻まで、G8サミット首脳会合に参加してきた。その資源と経済規模と軍事力をもって、帝国主義各国とともに世界支配の一角を占めようとしてきたのだ。 しかし、〇八年恐慌と二〇一〇年から一一年の欧州債務危機以降の帝国主義各国の経済停滞は、二〇年からのコロナ禍の中でさらに鮮明になり、資本のグローバルな展開そのものの困難性が明らかになってきた。日帝支配階級においても経済安全保障が主張され、国境を越えた資本のグローバルな展開だけでは自国の資本の利害を貫徹できない事態となっている。ブルジョアジーが無秩序に資本輸出を拡大するだけではなく、自国資本を防衛し、国家の利害から発想しようとする、転換が始まっている。新自由主義グローバリゼーションの限界である。 現代帝国主義は三〇年前、その資本の利害からBRICs諸国をもてはやし、ロシア、中国を帝国主義資本の再生産構造の中に組み込もうとしてきた。しかし、現代資本主義そのものが恐慌に直面し、かつ、ロシア、中国が帝国主義の世界支配を脅かす存在になるや、「民主主義と専制主義の対決」なるイデオロギーで排除し、分断、対立を激化させる戦略に大きく転換した。今、眼前で進行している戦争状況の根底には、この現代帝国主義の根本的な危機があるのだ。 この戦争の根底的原因をしっかりと見すえ、現代帝国主義が強めている分断と対立の構造をこそ粉砕していかなくてはならない。 ●第4章 プロレタリア国際主義を貫き、反戦闘争を闘い抜こう 日帝―岸田政権は、ウクライナ戦争に対して米帝―バイデン政権とともにロシア侵攻を非難し、G7首脳、NATO首脳との協議を積極的に行なって、ロシアへの「強力な制裁措置」をとることを確認した。あくまでも帝国主義として米欧日のG7が一致した行動をとるところに、岸田政権の重心はある。ロシアのウクライナ侵略戦争を一刻も早く止めることではなく、帝国主義諸国がロシアにいかに重圧をかけるのかという論議だ。 そして、日帝支配階級は、ウクライナ戦争を東アジアに置き換えて「台湾海峡有事」を主張し、「中国の侵攻」を前提にした論議に終始している。この仮定の論議の上に、さらに核兵器の保有・使用に主張を進めている。安倍晋三や維新代表の松井一郎は、アジア地域での戦争に向けて、米帝の核兵器を日本に配備し使用できるようにする「核共有」を、公然と主張し始めたのだ。 岸田は国会質疑では、この「核共有」を否定はしたが、自民党や維新の内部では、ウクライナ戦争を日本の戦争準備、核武装に徹底的に利用する極右主張が噴出している。ロシア―プーチン政権への批判を排外主義的に利用し、中国、朝鮮民主主義人民共和国への敵視を煽動する論議を引き起こしているのだ。 米バイデン政権とともに岸田政権が準備してきた中国包囲のインド太平洋戦略に基づいた軍事同盟強化が、QUADの軍事同盟的強化である。本年前半に日本で開催されようとしているQUAD首脳会議を許してはならない。自衛隊と米軍は、まさに対中国の共同作戦計画=戦争計画の策定に踏み込んでいる。東アジア地域での戦争計画を具体的に進めているがゆえに、ウクライナ戦争を、この戦争準備に全面的に利用しようというのだ。 新自由主義グローバリゼーションの限界の中で、現代帝国主義は侵略反革命戦争による危機突破をなそうとしている。日・米帝国主義が東アジアでの軍事的緊張を高めることを許してはならない。現実の戦争を、日帝の利害のために利用する支配階級を絶対に許してはならない。 今問われていることは、眼前の侵略戦争を止めることだ。 ロシア軍によるウクライナ人民殺戮を今すぐやめさせなければならない。プーチン政権は停戦し、ロシア軍はウクライナから撤退せよ! 今こそ、プロレタリア国際主義の真価が問われている。 ロシア軍侵攻を止めるために立ち上がったウクライナ人民、そして、プーチン政権の激しい弾圧を打ち破って全土で反戦闘争に立ち上がるロシア人民をはじめとして、全世界で労働階級人民が反戦闘争に立ち上がっている。 同志、友人諸君! 全国あらゆる場所でウクライナ反戦を闘おう。 |
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